カナヒビ

思念ゴミ

廃墟

昨日は埼玉の廃集落に行ってきた。

 

普段、「生きている」っていうことを全く意識せずに生活しているのはなぜか。

簡単に「死にたい」と言ってしまえるのはなぜか。

 

それは、死が身近にないからだと思う。

 

埼玉の廃集落、岳集落は、死んだ集落だった。

大昔に大火事があったらしく、そこから時が止まっているようだった。

 

この集落はどんな風に終わりを迎えたんだろうか。火事か、過疎か。

 

自分たちは終わりのことを考えてはいない。

死っていうのは、80歳を迎えてから突然やってくるものであり、

今日明日いきなり訪れるものではないと、思っている。

 

いつか終わるけど、今じゃない。そんなこと、わからない。

気づいてるつもりだけど、気づいていない。当たり前だ。

 

明日死んだら、自分はどう思うだろう。

死んでも死に切れないよな。化けて出てやるよな。

まだまだやり残したことたくさんあるじゃん。もっと人生楽しもう。